前進座 怒る富士公演

=終了いたしました=

ひろがれ協同・咲かそう地域
3月12日  前進座「怒る富士」公演

前進座 「怒る富士」吹田メイシアター公演 3月12日

「怒る富士」吹田メイシアター公演「怒る富士」吹田メイシアター公演
画像クリック・タップでPDFファイルを表示します(PDF:1.38MB)
日時 3月12日(日)午後2時開演(午後1時30分開場)
会場 吹田メイシアター
参加費 組合員5,000円(一般6,000円)

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アクセス

アクセス

阪急千里線吹田駅下車、進行方向一番前の改札を出てすぐ
※豊中駅、服部天神駅方面から阪急バス「JR 吹田駅」行乗車、「吹田市役所前」下車

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あらすじ

 宝永4(1707)年11月23日、富士が火を噴いた。山麓の村々は焼け砂に埋まり、田畑は壊滅した。幕府は急遽、関東郡代・伊奈半左衛門に被災地代官を命じた。
 ある日、半左衛門の陣屋に深沢村の若者・佐太郎、こと ら4人が訪れた。彼らは命がけで村を出て来たのであった。「食する物は何もなく、鳥さえも去っていった・・・・・・」半左衛門は被災地に急行し農民を励ます。「お上は決して民を見捨てはしない―」と。
 だが幕府の裁定は亡所というものであり、村々では飢えに倒れる者や故郷を捨てる者が相次ぐ。半左衛門は己の命を懸けて公儀に異を唱える決心をする。そして、その義心に心動かされた駿府代官は・・・・・・

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平澤 愛さん(つる役)

今も色あせる事のない名作です 平澤 愛さん(つる役)

 「怒る富士」は37年前から前進座で上演され続けている作品です。演じるたびに「なんでこんなに色あせる事無く現代社会と通じるのだろう?」と気づきを頂ける作品です。
今回は東日本大震災の被災地からも「ぜひ上演を」とリクエストもあり上演することとなりました。ぜひ3月12日は吹田メイシアターに遊びに来てくださいね。

「怒る富士」上演実行委員会から

伊奈半左衛門の生き様に感銘

 前進座の「怒る富士」公演を取り組む事が決まった時、原作を読もうと図書館で文庫本(上下2冊)を借りて読みました。結構長編ですが、一気に引きこまれました。幕府の絶対的権力の側にいても苦難にあえぐ多くの民を自らの命をもかけて救う関東郡代伊奈半左衛門の生き様に感銘。今から舞台が楽しみです。また「富士山噴火は今度いつ?」「江戸時代の農民や商人の生活や文化、経済は?」「幕府は何故財政難なの?」等興味がどんどん広がりすぎて、チョット抑えなくっちゃ。

(佐々木達男)

今の政治家にも見てもらいたい

 昨年富士山の麓へ行き、この芝居を観てきました。農民たちを助けたいという主人公の思いが切々と伝わって見ごたえがあり、ホントおすすめです。国民いじめの政治家にも見てもらいたいけど、まずは皆さんとご一緒に!

(鳥居たみゑ)

「民百姓から見捨てられてはならぬ」上演台本を読んで

 お芝居の上演台本を読むのは、一つひとつの場面を自由にイメージして楽しめる特別な喜びがあります。「怒る富士」の場合、物語のドラマティックな展開に引き込まれ、ワクワクしながら一気に読みました。随所に良いセリフがありますが、主人公・伊奈半左衛門が命を懸けて農民の命を救うため御蔵米を放出し、切腹する場面の台詞は秀逸です。妻や家人に言います。
 伊奈「よいか、駿東郡五十九ケ村は、この半左衛門一人が死ぬことによってすぐ救われるとは思わない。さらに年月がかかるであろう。だが、決して、民百姓を見捨ててはならぬ。また、民百姓から見捨てられてはならぬ。よいな。」 有名な最期のナレーションも紹介します。
 語り「富士山が日本の象徴であることは昔も今も変わりがない。その富士が怒るときは、世の腐敗がその極みに達そうとしたときだと伝えられている。」

(畑中英夫)

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前進座嵐圭史×中塚理事長「怒る富士」公演記念対談

~ほくせつ医療生協の活動は日常の活動が見える~

 3月12日(日)大阪民医連後援で前進座「怒る富士」公演があります。
前進座の嵐圭史さんと中塚理事長に"夢の対談" ということでお話をお伺いいたしました。
3年前、豊中診療所35周年周年事業で「赤ひげ」公演を取り組みました。
中塚先生も赤ひげになりきって力を出していただきました。

力を寄せ合って進めている活動は文化

前進座嵐圭史×中塚理事長

中塚:「赤ひげ」の時は口を開けば赤ひげ、赤ひげと上演成功に向けて力を尽くしました。赤ひげというテーマが特に研修医の保本登先生の姿勢が医療生協と重なって見え感動しました。80年前の前進座を知っていた当時103歳の松木さんも観てくださいました。

嵐 :80年前と言うと創立して間なしの時代でした。大切な方に見ていただいてよかったと思います。昨年、前進座は85周年を迎えました。
 吹田が民医連の発祥の地と知りこの事にも感動しました。1931年(昭和6年)治安維持法で一切の言論が封じられようとする厳しい時代に三島無産者診療所が出来、その看板だけでも大変だったと思います。
前進座が同い年と知り本当に感動しました。前進座は同じ年5月22日創立、「広範な民衆に適合する演劇」をと志を持って作った劇団で、良い芝居を創ろうと立ち上がりました。
 赤ひげの時、皆さんの取り組みは7千人の組合員で7百余の観客数というのはすばらしいです。
文化の活動とは、なんだろうなと考えてみますと、生協法第一条に「生活文化の向上を図る」と掲げられています。地域社会の中で福祉もふくめて厳しい状況の中で力を寄せ合って進めている活動が文化運動だと。食べること健康を守ることも文化なんだろうなあと。演劇は娯楽性も含めて楽しんでもらいたいです。

――民医連の発祥と流れが前進座と相共通しているのでは

中塚:根本に流れるものは共通していますね。民医連の医者として入ったとき、理念的なものを一番先に教えられました。そこに共鳴して入りました。先輩の思い、実際に虐げられてきた人たち、そういう時代だった、今またきな臭くなってきています。
 大学で学んだ時、当時の先生が地域医療は住民と患者さんに根ざした医療だと教えられました。
豊中診療所は、地域・組合員さんに支えられ、職員も頑張っています。遠くから組合員さんも来られ、しかも長い時間待ってもらっています。私たちがその中で充分に社会的役割を発揮しないといけないと思います。

嵐 :ドクターとしてこれだけの診療所を一人でやっておられることに驚き、度肝を抜かれました。赤ひげ先生は民医連の医者の代名詞となっていますね。
赤ひげ先生の「徒労にかける」というセリフからドクターの顔が浮かびます。

――「怒る富士」の見どころポイントを

前進座嵐圭史×中塚理事長

嵐 :富士山の宝永山が爆発したときは江戸が2週間真っ黒だったといわれた、被災地は灰が5尺、深いところは一丈も積もった。
農地を再生しお米を作りたいという農民たちに幕府は再生不能だと、亡所政策、管理不能の土地と定め、農民を切り捨て、一切の保障ナシと言う政策を実行しました。伊奈半左衛門は幕府の被災地の総支配人として派遣された。関東軍代80万石のトップ官僚の役で実在の人物です。
年貢を納めさせ、収奪することが仕事だった。しかし伊奈半左衛門はお倉米を出し、農民をたすけて自ら命を絶った。体ごとぶつかって村を、農民をたすけた。
この芝居は被災地の農民たちが立ち上がる農民一揆ではなく、一高級官僚がいかにして人間の魂を自分の心の中で守り、正義を生きるかを歴史上の事実として原作者の新田次郎先生が書いたものです。
 中村梅之助が昨年亡くなりました。私は第2世代です。一座を率いて訪れることはもうないと思います。「怒る富士」では、脇役を3世代、4世代の役者がみごとに演じます。3世代そろい踏みの舞台です。これだという良い芝居をお見せしたい、是非楽しんで観ていただきたいと思います。

――最後にメッセージを

中塚:今日はありがとうございした。
お話を伺って前の赤ひげ先生と保本登に加えて、伊奈半左衛門は憧れの人になりました。今年は介護保険制度がますます悪くなり弱者が切捨てられ、医療・介護だけを見ても大変きびしい年になります。何とか力を合わせて、この苦難を乗りこえていかなければと思います。
今回の芝居と同じような思い、気持ちで見せていただいてさらにそういう気持ちが強くなるのではないかと思います。

嵐 :福島の原発被害立ち退きを命じられて永久に復興できない3つの町がありますね、そのことが農民たちと重なって胸がしめつけられます、福島も亡所とされる地域があります。
福島を、被災地を、芝居を風化させないよう、忘れ去られないように全国の方に見ていただきたい。福島・熊本の復興に支援も含めて1人でも多くの方に観ていただいて、皆さんの活動そのものも確信を持ちながら位置づけていただけるのではないかとの思いはあります。
医療生協さんと出会って10年以上経ちますが医療生協の班活動が機能しているからこそ組合員さんの顔が我々にも見えてきます。

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